沿革
年/月/日 | 出来事 |
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1921/2/20 | 大阪市議会において中等実業学校の増設を可決、本校設置の運びとなる |
1922/6/29 | 文部省告示第478号をもって工業学校規定により、大阪市立工芸学校を設置、同12年4月1日より開校を許可された |
1923/3/3 | 大阪市立泉尾工業学校を仮校舎とし、修業年限5年各科定員33名の金属工芸科・木材工芸科・図案科を設置する |
1923/4/10 | 87名の新入生を迎え、第一回入学式を挙行した |
1924/10/1 | 現在地に校舎竣工、この日を創立記念日と制定 |
1926/9/1 | 旧校章を制定 |
1928/3/15 | 第一回卒業式を挙行。43名が卒業した |
1943/4/1 | 戦時非常措置により4年制工芸学校に改革 |
1944/4/1 | 建築科を設置、工芸図案科を廃科 |
1946/4/1 | 5年制工芸学校に復帰、図案科を復活 |
1948/4/1 | 学制改革により、大阪市立工芸高等学校として開校、金属工芸科、木材工芸科、図案科、建築科、美術科、美術専攻科(2年制)を設置する |
1949/4/1 | 従来の専門科の他に普通科を設置する |
1950/9/1 | 現校章・旧科章を制定 |
1952/3/3 | 美術専攻科と普通科を廃科 |
1957/4/1 | 写真工芸科を設置する |
1988/4/1 | 図案科をデザイン科に改称 |
1993/5/1 |
ビジュアルデザイン科・映像デザイン科・プロダクトデザイン科・インテリアデザイン科・建築デザイン科を学年進行で新設し、既存の美術科と併せて6学科を有し、現在に至る |
1995/4/1 | 校舎本館保存工事着工 |
1996/3/1 | 校舎本館保存工事竣工 |
1996/4/1 | 現在の科章制定 |
2000/12/12 | 本館校舎が大阪市指定有形文化財となる |
2008/4/1 | 本館校舎が経済産業省近代化産業遺産に指定される |
2022/4/1 | 大阪市から府に移管され、大阪府立工芸高等学校となる |
創立当時の職員
大正12年出題の入試考査の一部(数学)
(1)或人ガ田ト畑ヲ合ハセテ五町三段六畝持ツテ居ル、サウシテ畑ハ田ノ二分ノ一デアル、田ト畑ハ各何程カ
(2)農夫アリ其所有ノ米ヲ八分ノ三ダケ売リタルニ八十五俵残レリド、初メハ何俵アリシカ
(3)音響ノ速サヲ毎秒三百三十米トスレバ午砲ノ音ガ一里半隔リタル所ニ聞コユルハ何時ナルカ
(4)動物園ノ入場料大人ハ五銭小人三銭ナリ、或日ノ入場総人数ハ五百四十三人ニシテ入場料
二十一円二十五銭ナリシト云フ、入場者ハ大人ト小人各何人ナリシカ
保存工事前後の本館
平成7年春より本校本館棟は保存工事が行われ、平成8年3月に大阪の歴史的建造物としてよみがえりました。本館は19世紀の芸術様式を代表するアールヌーヴォーの巨匠ヴァン・デ・ベルデが設計したドイツのワイマール工芸学校をモデルとして設計され、大正13年に竣工したものです。
工事は地中梁と耐震壁設置等構造上の補強工事を中心に行われました。また少しでも創設当時の外観を取り戻すため、本館のシンボルでもある時計台、正面玄関の扉、腰折れ屋根の曲線部分の瓦改修、外壁仕上げの煉瓦・モルタルなどの補修工事がなされました。また内装も明るく落ち着いた雰囲気となりました。