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校長日記其の四百七十六~「見守って」ください~

 先週末の日記の続き。地方の個人塾の塾長の皆さんが書いた「地方国公立大学の対策本」に書かれていた、受験生の保護者としてのスタンスは「塾講師」。要は、あまり私情を挟まず、客観的にやるべきことを理解して伝える。学習すればいい結果が出る確率は高くなるし、その逆であれば結果は悪くなる。冷静に客観的に、今を伝える。決して、感情的にならずに「見守る」こと。

 その「見守る」と「見張る」の違いも書かれていた。もとより常々感じていることでもあり、共感したので記しておく。

 「見張る」は、他人と比べる。「見守る」は、(その人の)過去と比べる。

 「見張る」は、あら探し。「見守る」は、いいとこ探し。

 「見張る」は、結果に注目。「見守る」は、過程に注目。

 「見張る」の根底にあるのは、心配。「見守る」の根底にあるのは、信頼。

 「見張る」は、否定的。「見守る」は、肯定的。

 全く、そのとおりである。私も、よく授業の様子を見に行く。私としては、生徒の様子や先生と生徒のやり取り、授業内容等を先入観なく「見守っている」のだが、教員や生徒からは、校長フィルターにより「見張られている」感も生まれるが、それもやむなし。そんな中でも、私が教室内に座っているのに慣れた生徒は少なからずいて、昨日見学した英語の授業では、単語の受け答えを一緒に楽しんでくれたし、数学の授業では、2次関数に手こずる私に「校長先生、これを2乗して、これには4かけて...!」と一生懸命教えてくれた。ありがとう!

 保護者の皆様、今後ともお子様を「見守って」いただきますよう、よろしくお願いいたします。見られて成長、東高生!

  日々見ても 成長見られぬ 気がするが たまに見たらば 驚くべきなり