校長日記其の五百三十一~忘れないこと、つなぐこと~
1995(平成7)年1月17日(火)5時46分、仕事に行こうと準備をはじめたところ、少し揺れを感じた。あれっ?と思った次の瞬間、大きな縦揺れが起きた。今までにない大きな地震だとは思ったが、準備を終えて家を出た。電車が止まっていたため、堺市から大阪市此花区まで自転車で向かうことにした。途中、混雑する車の列を横目に、傾いた電柱や垂れ落ちた電線のそばを通り、学校はどうなっているのかとさらに不安が増した。
学校に到着すると、数名の先生もいて、さてどうする?と話し合った。まずは、校内を巡廻し、校舎の被害やグラウンドの様子を確認した。校舎には数か所のひび割れ、グラウンドには液状化現象が見られた。自転車で登校する生徒もいたが、気をつけて自宅に帰るよう指示をした。学校のすぐ裏が淀川で、その堤防のコンクリートが割れて大きく波打っているのを見て、あらためてその地震の恐ろしさを感じた。あわせて、高速道路が倒れている映像は強く印象に残っている。学校は13年後に統合されたが、校舎は現在も残っている。堤防はまもなくいわゆる「スーパー堤防」として整備され、のどかな川沿いを演出している。
本日で、阪神・淡路大震災から28年が経つ。教員の中には体験していない者もいる。もちろん現在の在校生は産まれていないし、私たちの世代が戦争を経験していないのと同じで、身に迫る実感を得よと言われてもそれはなかなか難しい。
ただ、実際に経験した、例えば両親や祖父母の話、一番身近な大人である先生の話からは少なくともその臨場感は伝わるし、それらの経験談や本や映画などの数々の資料によって、災害に対する備えをあらためて心に留め直す。直接の被害により家族や大切な人を失った方の悲しみは想像以上かと察するが、私たちにできることは、やはりこういう特別な日に想いを馳せることだと思う。
震災によりお亡くなりになった方々にあらためてご冥福をお祈りするとともに、心新たに、一生懸命生きたい。
寒暁の 祈りの明かり あたたかく