校長日記其の六百十九~輝く未来の原石たちよ~
現在、本校卒業生10名が教育実習生として、指導教諭のに温かい指導を受けている。2週間組も3週間組も、早くも最終週となり、今日から各々研究授業を行っている。早速、今日は2名の研究授業を見学。どちらもそれほど緊張の色もなく、スムーズに進んでいた様子。東高校の卒業生らしく、きっちり滞りなく授業をまとめていたのはなかなかのもの。
生徒の声は聞いていないので、何とも言えないが、今の生徒たちは実習生に何を求めているのか。いつもの担当の先生にはない何か新鮮なものか、あるいは、頼むからちゃんとわかる授業してくれよという思いか。いずれにしても、授業は「生もの」。そのときにしか感じられないもの、同じ空間に教師と生徒がいて、この空間でしか味わえない何かを得るのが醍醐味である。だから、よかれた思うことにはChallengeあるのみ。実習生には、大学生の今しか感じ得ない感覚を大事にして生徒とぶつかってほしい。
自身を振り返ると、36年前に私を実習生として迎えていただいた母校の小学校、中学校の先生方には感謝とお詫びするしかない。小中ともやりたいことは全てやらせていただいた。最初は、きちんとしなければという気持ちが強く、あまり自分を出せずにいたが、担当の先生から「もっと自由にしたらいいよ」と言われて気が楽になった。2週間の中学校では、放課後の部活動(野球部)も毎日夜7時までやらせてもらったし、その分、教材研究、指導案作成のため、睡眠時間はほぼなし。それでも好きなことをやっているという思いが先に立っていた。練習試合で監督をやらせていただいたことで、(やっぱり先生になろ)と思えた。4週間の長丁場の小学校では、運動会で子供たちと走ったり、フォークダンスをしたりした。近所のおっちゃん、おばちゃんたちから、「おー、あのコロッケ屋の息子がダンス踊っとるがな」と笑われつつも、(おっちゃんらには、できんことやっとるがな)と優越感に浸っていたことを思い出す。何より、小学校で、4週間まったく手を上げなかった子どもが、研究授業で手を上げてくれた時は泣きそうになった。と言うか、実習が終わって、近所の私の自宅に担当クラスの生徒が押しかけて来た時は、普通に泣いた。さらに、その私の涙を見て、数名の女子が「先生、泣いてるー」と言った時に、クラスのボス的な大柄な男子が、「あほか、男泣きや」と言ってくれた時は、まさに泣き笑いに...。教師生活35年、自分の原点はここにあると思えるのである。
現在、校長という立場だが、だからと言って、人間の本質が変わるわけもない。ごちゃごちゃ言う前に何でもやってみないと気が済まない。実習生を見ていると、スマートすぎて逆に心配になってくる。それが本性なら良いが、猫をかぶっているのなら、少しさらけ出した方が良い。少々の失敗は、後々の大きな成果につながる。本校にも、東高校卒の教員が現在2名いる。いつか東高校に帰ってきんさい。最後までチャレンジ、実習生!
原石は 転がされてこそ 光るもの
失敗を せずに生きても おもろない
失敗の多くは笑い話になる。失敗しない人生は、それだけ笑いが少ないともいえるのである。