校長日記其の六百四十一~「教育格差」を考える~
昨日の授業見学の続き。理数科2年A組の「家庭基礎」の授業の後は、英語科2年E組「探究」の授業見学。ここでも同じく、皆がChrombookを見つめながら、意見交換。昭和では考えられない授業の姿だが、東高校では当たり前になった。生徒がより主体的に取り組んでくれれば、その甲斐もある。
さて、E組の探究では、SDGsを大テーマとして、各班でテーマを決定する。「貧困」であったり、「教育格差」であったり、なかなかシリアスなテーマ設定だ。各班の様子を見学していると、ふと、生徒が、「教育格差は、自力で埋められると思いますか?」と私に問うた。「ある程度、気合で埋められる」と答えると、「話を聞かせてください。」と、レコーダー機能をONにしたスマホを向けられた。もちろん歓迎、自分の論を20分ほど述べた。簡単にいえば、確かに金銭的に余裕がある家庭は、学習塾に通ったり、家庭訪問をつけたりできるかもしれないが、それ自体が学力向上を確約するものではないということ。もちろん、相対的に向上する可能性は高くなるかもしれないが、大切なのは、学習する当人が、どのような目標を持ち、それを成し遂げたい気持ちがどれだけあるかによると考える。自分自身、どちらかといえば、余裕のない家庭だった。だからというわけではないが、いっさい塾に行ったこともないし、行きたいと思ったこともない。人に聞きたいことがあれば聞くが、そのようなこともない。自分のことは自分でやる、自分の目標は自力で達成するしかないと思っていた(今も思っている)。
とはいえ、私の環境が教育格差というほどのものではなく、常識的な生活ができていたという点では、それほど格差を感じていたわけではない。それよりも、家庭の事情で、生活していくのに精一杯で、勉強どころではない家庭もたくさんある。「気合で埋められる」などと、簡単には言えない環境もあるのも事実。学校としてできる範囲で支援するが、生活環境を整えるのは、役所に任せるしかない。とにかく、すべての子どもたちに「教育を受ける権利」を保証していただきたい。
シリアスなテーマゆえ、シリアスな内容になったが、スマホを向ける生も、私の話を真剣に聞いていたが、何を言っても、ただの一人の意見。もっともっと数多くの意見を聴取しなければ分析もままならない。地道に、計画的に、頑張れ、東高生!
格差あり だからどうする? どうする私