校長日記其の六百五十一~母校愛~
「母校愛」という言葉がある。一般的には、自分が卒業した学校を想う気持ちのことだが、その「母校愛」も人によって様々。高校であれば、青春真っただ中をどう過ごしたかで、「母校愛」の強弱が変わる。今、目の前で笑っている生徒たちの「母校愛」はいかほどか。
一方、卒業生でもない私たち教員が、赴任した学校にどれほどの愛を注ぎ込めるかは、それこそ勤務校の教育内容や雰囲気、生徒の様子、日々の心理状況による。全国的に、教員の給食、退職が増加している状況を考えると、増えさえすれ、減ることにない業務過多の毎日において、純粋に、また快適に教員生活を送っている教員がどれほどいるかは定かではないが、ある調査によると、教員の7割以上は、給食や退職が頭によぎっているという。そんな中、「母校」ではない勤務校に「母校愛」をどれだけ持てるか。単に仕事だからと割り切れない、非常に大切な何かがそこにある。
毎日、生徒と接するにおいて、朝のあいさつに始まり、授業を受ける姿勢や態度、廊下ですれ違う際の振舞い、集会での聴く態度や反応など、生徒の一挙一動は実に気になるが、総じて、何事にも手を抜かず一生懸命取り組む東高校の生徒に対しての愛は間違いなく自覚している。
その学校の愛し方でいえば、古い伝統ある校舎を「古いなぁ」「建て替えせんのかなぁ」とぼやきながらも一生懸命掃除する生徒以上に、管理作業員の方々は、最も「母校愛」に満ちているのではないか。広い校舎の落ち葉掃除から、建付けの悪い扉の修理や中庭のベンチの修理、塗装まで、実に幅広く、気の付いたところはすぐに改修してくださる。私たちでは気の付かない、いや、気は付いているのだが時間までは避けない部分も、いつのまにか直っている時もある。
その管理作業員の方々が、今回目をつけたのが、廊下の壁。最も人が通る1階廊下の壁を塗装するという。業者に頼めば、「仕事」としてお金を支払って、ハイ、終了となるかもしれぬが、まだまだ放っておいても仕方なし、という壁を「校長先生、きれいになりますから、見といてください!」と、嬉しそうに言ってくださる。この猛暑なので、「涼しくなってからでいいですよ」と言うが、「貴重な夏休みなので...」と、毎日作業に励んでいる。「貴重」の意味が違うのでは...?まさに、感謝、感謝、である。
仕事には、何事も「ひと手間」かけよ、と言うのが、恩人の一人の口癖だが、見ていると、ひと手間もふた手間もかけている。「仕事」と言う一言ではやはり足りぬ。これこそ「母校愛」に違いない。
やらんでも ええ仕事にも 全力で やれば人皆 笑顔なりけり