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校長日記其の六百八十七〜「大丈夫」ではないのです〜

 この日記は、基本、東高生へエールを送るために書いているので、あまり暗い話題やシリアスな話題は極力避け、明るい話題や読む人が元気になれる話題を心がけているが、今日は、できるかぎり丁寧に、そして真面目に、世間でも未だにやや誤解されている「いじめ」について書きたい。少し長くなるが、真剣にお付き合いを・・・。

 というのは、本日の新聞に、全国の小中高と特別支援学校対象の文部科学省「令和4年度問題行動・不登校調査」の結果が公表、いじめの「認知」件数が68万1948件と、前年度より1割増加したという大きな記事があったからだ。いじめの重大事態も217件増加したということだ。

 まず、いじめの『認知』件数については、平成25年に「いじめ防止対策推進法」が施行されて以来、「いじめ」の定義が「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされた。

 それまで、多くは、複数名が一人に対して、一定期間無視をしたり、言葉や物理的な暴力行為を行ったり、金銭を脅し取ったりしたものを「いじめ」として対応するのが一般的であったが、大津市の中学2年生がいじめを苦に自殺するなど、いじめ問題が深刻化したことを受け、「いじめ防止対策推進法」が制定された。法の主旨としては、そこまで酷い行為に至るまでに何らかの対応が必要であることから、一見些細だと思われることも「いじめ」と『認知』することで、相談された担任等が一人で抱え込まず、学校として組織的に即対応するために、ということだ。

 例えば、あるクラスの児童Aが(一定の人間関係がある)同クラスの児童Bに「お前のかあちゃんデベソ!」と冗談で一言言ったとしても、それにより児童Bが精神的な苦痛を受け、先生にそのことを伝えた場合、推進法以前は、単なる口喧嘩だと軽くたしなめられていたかもしれないが、今はまず「いじめ」と認知される。ところが、これを以前のように「いじめ」ではなく、単に口喧嘩として対応すると、後々そのことがきっかけとなり、徐々にBに対する暴言や行為がエスカレートしていく可能性もある。あるいは、実はそれ以前にもBに対して別の暴言があったかもしれない。あるいは、単なる口喧嘩だったかもしれない。

 要は、表面上、些細な出来事であっても、まずは「いじめ」と『認知』して、被害者に寄り添い、事実を確認することが大切だということである。そのうえで、実は先にBの方がAに対し、「アホ、バカ」と言っていたということになれば、お互い様の口喧嘩だということになる。要は、取越苦労であれば、それに越したことはないのである。そして結局、何が言いたいのかというと、上記のとおり、いじめの「定義」が変わったので、『認知』件数が増えるのは当然であり、『認知』件数が増えたから世の中の(これまでと同様の)「いじめ」が増えた、とはならないのである。

 ただ、この「定義」の変更と『認知』のあり方によって、保護者の方の中には、学校が「いじめ」と『認知』したと伝えると、「ということは、うちの子は被害者ですよね。それなら相手の子に謝らせてください」と即反応される方もいる。ここで多くの方にご理解いただきたいのは、『認知』は、あくまでもこの問題を単なる口喧嘩と捉えす、「いじめ」として調査し対応していきます、という宣言であって、この時点では、意図的な、あるいは無意識であってもやはり人権的に否のあるなどの「いじめ行為」があったかどうかはわからない、すなわち、加害者として特別に指導する、加害者のみに謝らせる必要があるのかどうかは次の段階であり、その後の調査によるのである。実際、「いじめ」と『認知』されたものには、加害者と被害者を明確に分けられないものもある。さきほど述べた例でいうと、きちんと調べぬうちに、児童Aの一言のみをもって「いじめ行為」の加害者であるとは断定できないのである。繰り返しになるが、結果的に単なる口喧嘩であったとしても「いじめ」と認知して対応することで、少なくとも大事には至らない。これが「いじめ」の『認知』の最大の意義である。「いじめ」はどこの学校でも、どんな子供にも、いや、どんな社会にも、大人にも起こりうるもの。私も「本校にはいじめなどありません」と胸を張って言いたいところだが、はっきり言って、本当の「いじめ」はなかなか表に現れないし、簡単には発見できない。しかしながら、可能な限り、アンテナを張って小さな芽を発見し、摘んでいくことはできるし、それを続けることが重要だ。

 一方、先の「いじめ重大事態」の増加は、文字通り歓迎できない。こればかりは、小さな芽を小さな芽としか捉えられない大人のせいである。この件で重要なことは、まだまだ誤解される「いじめ」の『認知』を行わなかったことである。上記、「いじめ重大事態」のうち、約4割弱は、学校が「いじめ」として捉えて(『認知』して)いなかったことが事を大きくする原因だったという。小さな芽を摘むためには、いわゆる初期対応が全て。学校として組織的に対応すること。常に意識してはいるが、本当にできているのかと自問自答しながらの毎日である。本日の新聞に「いじめ重大事態」の注釈として、「被害児童生徒の生命や心身等に大きな被害が生じたり、長期間の不登校になったりした疑いのある事態」とある。文中には「生じたり」や「なったりした」とある。要するに、過去形であり、残念ながら取り返しのつかない状態をさす。今日の記事を見て、学校に勤務する私達は、「生じる前」に、「なる前」に、誠実に真摯に対応すべきだと認識した。

 それと、最後に一言。いじめられている児童生徒が、親や先生に「いじめられていないか?」「大丈夫か?」と聞くと、その子はきっと「大丈夫」と答える。その際、「ああ、そうか」と返すこともありはありだが、「そっか、大丈夫か。良かった良かった」と本気で信じ込む大人はあまりにも情けない。子どもは親や先生には心配をかけたくないので、ほとんどの子どもは「大丈夫」と答えるのだ。子どもがそう答えたら、そんなときこそ、見守り、いつでも助けてやるということを、全身で伝えなければならない。大人の責務である。

 以上、まだまだ言葉足らずのため、十分に伝わるかどうかは不明だが、今言いたいことを書いた。少しでも「いじめ」を考えるきっかけになれば幸いである。

  大丈夫 言葉の裏の SOS

 「他者尊重」は、東高校の人材育成目標の一つ。本当に強い人間は、人に優しい。お互いを認めあって生きよう、東高生!