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校長日記其の七百八〜虎と牛からフグの話〜

 11月にも関わらず、これだけ夏日が続いているのは、もしかしたらこのせいではないかとも思ってしまった日本シリーズ、関西ダービーが最終決戦を終え、阪神タイガースが38年ぶりに日本一になった。

 この日記では、あまり流行り過ぎるものや人気過ぎるもの、盛り上がり過ぎるものには、反応しないようにしていたが、当然毎試合欠かさず見ていたし、地元意識が強い私は、でどちらが勝っても嬉しさ半分、残念半分というところ。ただ、朝から、阪神ファンの国語の先生が、「阪神日本一!スポーツ新聞セット」を抱えながら、嬉しそうに歩いているのを見たら書くしかない。

 岡田監督が勝利インタビューで「38年前は私は27歳やった」と話していたが、当時の私は20歳の大学2回生。そんな頃もあったなとノスタルジーに耽るまでもなく、阪神の日本一は鮮明な記憶としてある。

 大学の四年間、縁あって地元西◯区のフグ屋でアルバイトをしていた。大学の硬式野球部の先輩の実家でもあり、アルバイトはすべて同じ大学の運動部員。1985年は、私を含む硬式野球部員4名、柔道部3名、剣道部1名の8名。それぞれ部活終了後に急いで店に駆けつけ、仕事に勤しんでいた。当時はバブル最盛期。各企業の社長さん・部長さんクラスが毎日大盤振る舞い。忙し過ぎて疲れはするが、閉店は9時。最後のお客さんが少々居座ったとしても、9時半には閉店する。

 気心知れた先輩後輩と働くのも楽しいが、この店の至福は閉店後から始まる。女将さんのモットーは「若い子はとにかく食べなあかん!」ということで、いわゆる「まかない」が質量ともに半端ない。メインのおかずも半端ないが、すぐそばには余ったふぐの身が入った大きな鍋がある。それをつまみつつ、最後は雑炊も待っているからまさに幸福。先輩方から順にご馳走様となるが、実はこの店、食べれば食べるほど女将さんに褒められる。調子乗りの私は毎日、メイン料理を食べた後、洗い物をする先輩方を横目に鍋いっぱいの雑炊を平らげていた。普通なら後輩が洗い物をするが、食べる者が最優先。先輩に甘えた毎日を過ごした結果、入学時65kgだった体重が、卒業時には86kgに・・・実に21㎏増。そのおかげでボールも飛ぶようになり、野球の成績が上がったので、願ったりかなったり...心から感謝。

 阪神の日本一と何の関係が?と言われそうだが、1985年の阪神の日本一は、11月2日(土)午後4時頃。その店で、まだお客さんが入る前に、阪神の助っ人外国人ゲイルが最後のバッター(後の西武監督にもなった)伊東勤をピッチャーゴロに打ち取った瞬間をみんなで見ていたのでよく覚えているというわけだ。さらに、その瞬間、大の巨人ファンの先輩が、「よっしゃ、今日は一日阪神ファンや。店が終わったら、皆でミナミ行こう!」と一言。あの道頓堀騒ぎに揉まれつつ、みんなで心地よいバブルの夜を楽しんだ(ちなみに、川には飛び込んではいないのでご安心を)。ということで、阪神の日本一を思い出すたびに、アルバイトした店の思い出も蘇るというわけである。

  縦じまと フグの雑炊 ワンセット

さて、そんな私事はさておき、東高校ソフトテニス部は、大阪高校総体で団体5位に入賞。修学旅行や学級休業など、学校で練習できない日も多かったが、大健闘。それぞれが自分のできることをやってきた証。上を見れば悔しさも募るだろうが、相手は問わず、自分たちの力が発揮できればそれで良し。自信をつけて、次も頑張ろう。勝ちも負けも次の糧、継続は力なり、東高生!