最新情報・お知らせ

校長日記其の七百四十五〜今は何年?〜

 令和6年が明けた。「令和」の元号が発表されたときは、「万葉集」の一説を引用したものとして、平和の象徴となり得るべき命名を感じ取ったのか、誰しもが新しい時代の到来を期待したが、意に反して、これまで経験したことのない新型コロナウィルスの感染拡大の危機に瀕した。自分自身も「令和」の始めは、大阪市の教育委員会で、各校の取りまとめの立場として、コロナ対応と大阪府への移管という大きな仕事に追われていたので、個人的にも「令和」という元号と現実との強烈なギャップが「令和」のイメージとなっている。

 そんなことを考えながら、ふと、今は平成で言うと、「平成36年」にあたるな、昭和なら何年か、と何気なく感じて計算したら、今年は「昭和99年」にあたる。それなら、2025年は「昭和100周年」ではないか。なんということもないが、少し嬉しくなった。

 その一方で、自分が今、「昭和99年」を生きているのか、「平成36年」を生きているのか、はたまた、しっかりと「令和6年」を生きているのか、考えることとなった。昭和男が平成生まれの生徒たちと20年近く接してきたが、社会の事情も生徒の様子も大きく変わったし、それに伴い、学習指導要領を始め、教育に関する法律や条例、制度等も変わってきた。今は、いわゆるSDGsとも共通する「誰一人取り残さない」が大きなキーワード。昭和の一部にあった、学校に合わない生徒を切り捨てる時代はとうに終わった。当たり前だが、数ある高校の中からその高校を選択した入学生を3年間で「育てる」のが学校だ。入学時に「できない」のは当たり前で、「できる」ようにするのが仕事。一人ひとりの適性や個性を見極めての『個別最適化学習』が理想だ。

 とはいえ、教員はスーパーマンではなく、生身の人間。個人の生活や家庭の事情を抱えながら、さらに皮肉にも「働き方改革」という"壁"と戦いながら、現場は必死で働いている。軸となる場所で、しっかりと「令和」の理想を実現する策を考えていただきたいものだ。

 ・・・と、難しいようで実は答えは簡単?な話はさておき、本日も共通テストを終えた3年生数名と廊下で会った。「どやった?」の言葉ににんまり、「まぁまぁです」。「そうか、それは良かった」。周りの数名も「まぁ・・・」「悪くはないです」とドヤ顔で言う。明らかに「できた」顔だが、決して「できました!」とは言わない「平成」の男たちに喜怒哀楽を求めてしまう私はやはり昭和か。まずはクリアに期待は増す。頑張れ、東高生!

  平成の 笑みに昭和は 苦笑い