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【校長より】都工の歴史(その14)~甲子園出場!③~

 昭和26(1951)年8月17日、ベスト8に進出した我が都島工業は準決勝進出をかけて京都代表の古豪、平安高校(現 龍谷大学付属平安高校)と対戦します。当時の新聞記事を掲載します。

~平安延長10回に打ち勝つ~

 平安が2回にあげた1点、都島が7回に追いついた1点はいずれも満塁の内野ゴロで本封と一塁アウトの併殺で加点を食い止められたが、前半を平安・後半を都島が試合のペースを奪い合い、互角で延長戦へと渡り合った。

 都島の松井は例によって立ち上がりに難を見せ、2回、谷からはじまる平安の攻撃に併殺を逃した遊失バント守備の不備などがあって、早くも無死満塁の苦境に立ち、石黒の投ゴロで投-捕-一の併殺に切り抜けホッとしたのもつかの間、鎌谷の意表をつく三前ドラッグ・ヒットに1点を先攻されたが、その後はシュートとカーブを意のままに使い分け平安を抑え続けた。

 一方、平安清水は順調にスタートをきり6回までの2安打2走者も併殺、二盗刺でしりぞけ都島を無残塁の三人で完封したが、7回に二死後播磨をはじめて歩かせたことから、いずこからとなく沸き上がるスタンドの嵐に巻き込まれ、豊島には三塁横を痛烈に抜かれ坂東をも歩かせて満塁、懸命なピッチングも松井に鮮やかな右前適時打を浴び、遂にタイスコアいよいよ試合は白烈を帯びてきた。

 投手戦から1点を争う必死の攻防戦となった十回、都島は山名の低めカーブを見定め左翼線に放った二塁打をものに出来なかったのに反し、平安はその裏同様一死後、北井の右中間二塁打のあと藤森、上市が四球を選び清水(宏)の安打にすべてをかけた。平安ベンチは敢然裏をかいて打たせたが投ゴロ、投-捕-一の併殺は一塁が一瞬早く生きる間に二塁の藤森、猛然本塁を陥れ都島の善戦も遂に報われなかった。

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 新聞記事を読んでいるだけで、73年前の戦いの様子が手に取るようにわかります。手に汗握る大接戦の末、我が都島工業は惜しくも敗れました。その後、平安高校は準決勝、決勝と勝ち続け、見事全国制覇を成し遂げました。日本一のチームと互角に渡り合うとは、我が都島工業も全国トップレベルの実力だったことでしょう。

 残念ながら本校はこの時以来甲子園出場はありませんが、近い将来必ず出場し、大応援団の前で伝統の「MTHS」のユニホームで躍動してくれると信じています。硬式野球部の皆さん、頑張ってください。(続く)

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