【校長より】都工の歴史(その18)~普通科の廃止と工業化学科の増設~
総合制高校として普通科を併設した本校は、普通科4学級200名の募集人員で、昭和27(1952)年には600名にもなりました。この年、総合制高校として校名を都島高等学校に変更してはという話が大阪市教育委員会内部でもちあがりました。しかし、伝統ある都島工業の名を改めることに反対する声が、同窓会やPTAなどから強く起こったため、この話はなくなったとのことです。
その頃、近隣に旭高校が創設されるなど、普通科の志望者を受け入れる態勢が十分に整備されてきたことから、昭和28(1953)年度より本校の普通科の募集を停止することになりました。そして、昭和30(1955)年には本校から普通科が消えることとなりました。普通科の廃止は普通科生にとっては母校を失うにも似た寂しさを感じさせましたが、母校が工業専門の学校になった方が、将来の発展のためになるというのであれば、やむを得ないと断腸の涙を振り切って廃止されることになったそうです。
普通科を廃止し工業専門の高校として舵を切ることになった本校は、その頃の化学工業界の急速な発展と基幹産業としての性格から、昭和29(1954)年4月、本校に工業化学科が設置されることになりました。機械科、建築科、電気科、土木科、工業化学科の5学科を有する工業専門の高校となりました。(続く)
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