【校長より】都工の歴史(その19)~最新工法による土木・建築新校舎の落成~
昭和29(1954)年に工業化学科を設置し、機械科、建築科、電気科、土木科、工業化学科の5学科を有する工業専門の高校となった本校ですが、その2年後の昭和31(1956)年、待望の土木建築別館が落成しました。これは、戦後、本校にはじめて建てられた本格的な校舎でした。
戦災後、電気科の実験実習室、機械科の実習工場、建築科土木科の製図室など修築が行われましたが、いずれも、木造スレート屋根の耐久性の低いものや、移築した建物、焼けたビルの内装を行ったものなどであって、質よりも量の復旧が第一に考えられましたが、当時としては当然の処置であったそうです。しかし、今回は、鉄筋白亜の堂々たる3階建ての本格建築の校舎が戦後はじめて誕生することになりました。
この校舎は浮基礎式工法によって施工され基礎コンクリート柱を打たず、船が浮かんでいるように、大地の上にビルを浮かしたような形で建造されており、大阪建築設計事務所が、戦後開発した最新の工法が用いられました。
本館3階建ては大正の末期に、天満層に達する深い基礎に杭を下ろして建築されているので、地下水の汲み上げによって、運動場の地盤が沈下し、出入口に設けた橋に亀裂断層を作っていましたが、新しくできた土木建築別館は地盤とともに沈むため、運動場との間に断層はできない構造でした。この別館は、西半分を建築科が使用し、東半分には、土木科の施設が造られました。
しかしながら、新別館落成の喜びもつかの間、翌年に悲劇が訪れるとは、この時には予想だにできませんでした・・・。(その20 へ続く)
最新の工法による土木建築科別館校舎
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